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九重親方(横綱・千代の富士)波瀾万丈の人生に幕引きに唖然!! [芸能]

「横綱の中の横綱!でした」と元横綱朝青龍が悲しみを堪えてコメントした。
横綱でないとわからない大きな存在だったことがわかります。


九重部屋先代の師匠(千代の山)さんが求めた力士像そのものだった千代の富士。
運動神経がよくて体が締まっている、そんな弟子を求めて北海道へ。
「飛行機に乗せてあげると」と子供心をくすぐって入門させたのが始まりで、ここから千代の富士の波乱万丈の相撲人生のスタートとなる。


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1970年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進する。
それ以来ずっと横綱を張りつづける。
1989年6月には、同年2月に誕生したばかりの三女をSIDS(乳幼児突然死症候群)で生後僅か4か月足らずで亡くす不幸に見舞われてしまう。

千代の富士の家族や自身も精神的なショックが大きく、師匠の九重(北の富士)でさえも「もう相撲は取れないのではないか」と思った程だったと言っている。

1987年前半はわずかに崩れたことで千代の富士時代は終わりに近づいたと囁かれるようになるのです。

しかし、この雑音を打ち消すかのように、1988年5月場所7日目から11月場所14日目まで53連勝を記録するなど、他を寄せ付けない強さで1980年代後半から平成初期にかけての「千代の富士時代」を築き上げるのです。

1989年1月場所も優勝候補筆頭だったが、前場所に連勝記録が途切れて緊張感がなくなったか雑な相撲が目立ち、8日目に寺尾に敗れて以降は優勝争いから後退、11勝4敗に終わる。


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4年4ヶ月ぶりに西正横綱として登場した同年3月場所は初日から他を寄せ付けない強さで、14日目に大乃国を破って優勝を決めたが、この一番で左肩を再び脱臼したことで千秋楽が不戦敗となり、表彰式では左肩にテーピングを巻いて登場、右手のみで賜杯を手にした。

その直後の7月場所は首に数珠を掛けて場所入りし、12勝3敗の成績ながらも千秋楽の優勝決定戦では、奇しくも同部屋の弟弟子だった横綱北勝海を下して、奇跡の優勝となるのです。

同年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成し、同年9月28日に大相撲で初となる「国民栄誉賞」の受賞が決定した。
協会は一代年寄「千代の富士」を満場一致で承認するが、本人は九重(北の富士)と相談のうえで辞退している。
このことを相撲解説の北の富士さんは「嬉しかった」といっていました。

<まとめ>
千代の富士の土俵入りが一番美しく、これが横綱!!

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